May 09, 2011

ソファを選ぶとき、デザインと安定感を

部屋に合ったソファを検索する場合、どうしても見た目でソファーを選ぶことが多いと思います。確かにソファは、デザインも重要ですが、やはり座ってリラックス家具なので、安定感のよいソファーを選択するほうが重要だと思います。デザインは、使っているうちに飽きが来てしまうこともありますが、使用して、快適なソファは、飽きがきません。
以前から折りたたみ式のベッドはあったのですが、つ折りにして部屋の隅に彫刻させるというものでした。しかし、最近の折りたたみベッドは、圧縮すると、ソファになるタイプがあります。ベッドとソファ一台に役立って、使用用途が広がっています。ベッドで使用する場合でも、背もたれがリクライニングで調節されて便利です。
 陸上の大阪国際女子マラソンは30日、世界陸上選手権(8月開幕、韓国・大邱)の代表選考会を兼ねて大阪市・長居陸上競技場を発着点に行われ、赤羽有紀子(ホクレン)が2時間26分29秒で、マラソン挑戦5回目にして初の優勝。自動内定条件の2時間25分59秒以内には届かなかったが、代表入りは濃厚となった。26秒差の2位に伊藤舞(大塚製薬)。3位は堀江知佳(ユニバーサルエンターテインメント)。昨年の広州アジア大会五千メートル代表の木崎良子(ダイハツ)は5位だった。

 レースは30キロ手前で木崎、34キロ手前で堀江が先頭争いから脱落。その後は赤羽と伊藤の一騎打ちとなり、39キロ手前で赤羽が仕掛けて伊藤を振り切った。(スタート時の気象=晴れ、気温3度、湿度49%、東の風2.4メートル)

 ◇途中棄権の屈辱晴らす…赤羽

 仕掛けたい気持ちを抑えて、ただ向かい風が収まるのを待った。残り3キロ余り。ゴールの長居陸上競技場までほぼ直線となるあびこ筋に入ると、赤羽は満を持して飛び出した。「押し切れると確信するまで絶対に出るな。出るならば一発で決めろ」。夫の周平コーチの描く戦術にきっちり応えた。

 昨年は左膝のけがを抱えて強行出場したが、38キロ過ぎで途中棄権。同じ失敗を繰り返すわけにはいかなかった。年末年始の奄美大島の合宿で取り入れたのが、ゆっくりと長い距離を踏む練習。40キロ走など激しい練習の翌日には、マラソンの半分程度の速さの1キロ6分で練習を積んだ。足に負担の少ないクロカン練習を中心にすることで、月間の走行距離は100キロから150キロも延びたという。

 肌を鋭く突き刺すような寒風の中でも、最後まで心と体のゆとりが奪われることはなかった。赤羽は「いつも後半に失速するけど、今回は(過去のレースと比べて)一番余裕があった」と振り返る。上下動の少ないむだのない走りは過酷な条件でこそ際立った。

 「勝負強さは示すことができた。記録を狙いたい」。今年32歳になる一児の母は今春のロンドンマラソンで自己記録(2時間24分55秒)を大幅に更新する22分台を見据える。大阪、ロンドン、そして2大会連続の世界選手権となる大邱へ。7カ月で3戦という挑戦の先にはロンドン五輪の大舞台が待っている。【田原和宏】

 ◇世界選手権代表内定条件をクリアした選手なし

 世界選手権代表の内定条件をクリアした選手はいなかった。だが、低温で突風も吹き荒れる厳しいコンディションの中、赤羽と伊藤は持ち味を出し合って最後まで競り合った。日本陸上競技連盟の武冨豊・女子マラソン部長は「赤羽は安心感のあるレースだった。積極的に前に行った伊藤も評価できる」と語った。赤羽は代表入りが確実で、伊藤も有力な候補と言える。

 選考レースは五つあり、代表枠も5。既に終了した昨年の北海道マラソン、広州アジア大会は低調だった。

 残るは2レースで、2月20日の横浜国際は、09年世界選手権銀メダリストの尾崎好美(第一生命)、3月13日の名古屋国際には08年北京五輪代表の中村友梨香(天満屋)らが出場を予定している。【井沢真】

 ○…今大会では浦田佳小里(天満屋)が20キロ、樋口紀子(ワコール)も15キロまでカロビッチ(ハンガリー)とともにレースを先導。日本陸連が今季から起用を推進する女子の日本人ペースメーカーの初事例となった。風向きの変化に応じて微妙にペースを調整しながら、ほぼ「5キロあたり17分0秒」の設定通りに責任を全う。優勝した赤羽からも「いいペースで引っ張ってもらい前半は楽に走れた」と感謝された。

 日本陸連はこの役割をマラソンを志す選手のステップとしても生かす方針。来年度のマラソン初挑戦を目指す浦田も「大きい大会で落ち着いてペースを作れたことは自信になる」と手応えを得ていた。

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 アジアカップ後の代表引退を宣言していた韓国代表DFイ・ヨンピョが、ウズベキスタン戦戦後に公式引退会見を行った。

 昨夏に行われた南アフリカ・ワールドカップ後に引退を考えたというイ・ヨンピョは、チョ・グァンレ監督に説得されアジアカップまでプレーする決断をしたと明かした。

「昨年ワールドカップが終わった後、引退しようと思った。しかし、ショ・グァンレ監督がアジアカップまでやろうとおっしゃってくれて、ここまでやってきた」

「引退のことは大会が終わるまで選手たちには言わないつもりだった。しかし、数日前から選手たちが分かったようで、食事のたびにチャ・ドゥリがこれから見ることができない伝説の選手だと言いながら、椅子を引いてくれたり、部屋に入るときにあいさつをしてきた(笑)」

「ウズベキスタン戦も、後輩たちが先輩のために最善を尽くそうと話してくれた。それがありがたかったし、サッカーだけではなく性格も素晴らしい後輩たちと最後の試合をできて嬉しかった」

「時間的に代表引退の時が来たと思った。ただ、後輩たちに道を譲るためではない。後輩たちは僕よりもっとうまいのだから」

「一番の思い出は2002年のワールドカップ。韓国サッカーの歴史に大きく影響を与えた大会だった。個人的にもさらに大きな舞台でプレーできるきっかけにもなった」

「12年間、代表生活を送れたのは、僕の背中を押してくれたファンたちのおかげ。そして先輩や後輩、代表で出会った監督、コーチ、スタッフの皆さんに感謝したいと思う」

 1999年に代表デビューしたイ・ヨンピョは、韓国代表歴代3位の国際Aマッチ127試合に出場し5得点を挙げた。アジアカップ通算16試合出場は、韓国代表歴代最多出場となっている。

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