Mar 31, 2009

エコハウスを建てる場合

エコハウスはエコロジーハウスの略だとし、自然エネルギーを最大限に生かした環境に負荷を与えずに建てられた住宅だそうです。人の健康が侵害されるような有害物質は使用していない廃棄する場合は、可能な限り自然に近い状態に戻るものを使用する化石燃料を可能な限り使用せず、自然エネルギーを最大限利用するのがエコハウスの基本的な考えだとしています。
お好みのデザインで作ってくれと注文家具は一生ものです。一気に配置されると嬉しいのですが、注文の家具は、価格も良いので、私は好きな家具メーカーの一年に一度か作ってくれて集めることにしています。年に一度、自分へのご褒美。注文の家具は、メンテナンスし続けることがあるので一生ものとして大切に使用しています。
 夏の甲子園第14日の19日、関西は準決勝で日大三(西東京)と対戦し、4−14で敗れた。8点差の八回、渡辺雄貴主将(3年)の2点本塁打などで3点を返し、粘り強さを見せた。「最後まであきらめない」。渡辺主将が掲げるチームのスローガンどおりのはつらつプレーを続け、三塁側スタンドから「感動をありがとう」と惜しみない拍手が送られた。【原田悠自、山崎一輝、山川淳平】
関西
  010000030=4
  10000085×=14
日大三
 「絶対に点を返すぞ」。大量リードを許した八回、試合をあきらめる選手は一人もいなかった。
 1死一塁、打席に立った渡辺主将は自らのバットでナインを鼓舞した。「おれが打って盛り上げてやる」。高めの直球をフルスイング。「キーン」という芯に当たった音が球場内に響くと、打球はぐんぐん伸び、相手の中堅手も見上げた。「入った!」。スタンドの応援団はチームカラーの赤いメガホンを突き上げ「よっしゃー!」とハイタッチで喜んだ。
 2死で打席に入った関泰典選手(3年)も覚悟を決めた。「これが最後の打席かも。振るしかない」。7月下旬、疲労で右肩を痛め、甲子園での練習はノースロー。スイングも満足にできず、痛みで左手が離れてしまうこともあった。しかし「痛いなんて言ってられん」と直球を引っ張り、左翼手の頭を越える二塁打を放った。関選手の母奈知子さん(43)も「痛いはずなのによく打ってくれた」と拍手を送った。
 続く打者は水原浩登選手(3年)。「浩登、頼むでー」。連日のスタンド応援で声を枯らしながら、野球部員の戸田裕基君(3年)はエールを送った。
 「おれら、よくここまでこれたよな」。試合前日、水原選手と風呂場でバッテリーを組んでいた1年生当時の思い出を語りあった。「おまえに受けてもらいたかったな」と水原選手に言葉を掛けられ、戸田君は「スタンドから乗り込んでやろうか」とおどけてみせたが、スタンドで「最後の最後、水原と組みたかった」とつぶやいた。水原選手は適時打を放ち、この回3点目を奪う。「ワー!」という大歓声の中、「浩登、ありがとう」。自然と涙がこぼれた。
 ◇特大応援旗でエール
 〓…三塁側のアルプススタンド最上段で、野球部員の井上雄太郎君(1年)が特大応援旗を掲げてエールを送った。縦約2メートル、横約3メートルのオレンジ色の応援旗には、校章とともに「関西高等学校応援団」と書かれ、15年以上前から伝わる。1年生部員2人が試合ごとに交代で担当。試合終了まで持ち続け、甲子園の浜風に旗がたなびくと足がふらつくという。井上君は「選手はグラウンドでもっとつらい思いをして戦っている。歯を食いしばって持ちたい」と話した。
 ◇「誇りに思う、人生の宝」
 八回の先頭打者は妹島正明選手(3年)。「どんな形でも塁に出る」とセーフティーバント。打球は相手投手と一塁手の間を転がり、内野安打となった。「ナイスバント!小技がうまくなったな」。同じ少年野球チームで妹島選手と一緒に練習に打ち込んだ部員、中田尚冴君(3年)は両手を突き上げた。
 「ホームランが打ちたいなあ」。目立ちたがりだった当時の妹島選手に、監督の柳本和之さん(35)は「ヒーローにこだわるな」と、「桜梅桃李(おうばいとうり)」という言葉を贈った。似たものの中で個性を輝かせろという意味だ。妹島選手のグラブには、今もその文字が刻まれている。柳本さんは「チームのことを考えるようになったな」と教え子の成長した姿を見てほほえんだ。
 「野球への取り組みだけは誰にも負けない」と自負する福井寛十郎選手(3年)を姉の亜弥さん(24)は支えた。今春、右肩をけがし、約1カ月ボールが投げられなかった時、「みんながいないところでやりたいから」と頼まれ、自宅近くの公園でボールを転がし、捕球の練習を手伝った。試合前日には「がんばって」とメールを送った。八回、3点を返し、なお2死一、二塁で打席に福井選手。「何とか打って」と祈ったが、三振に倒れた。それでも「どんまい」と大きな拍手を送った。
 関西OBもスタンドに駆けつけた。河合直治さん(42)は87年の夏、右翼手として江浦滋泰監督らと甲子園に出場し8強入りした。「こんなにお客さんがいる、と無我夢中だった」と振り返る。当時と比較して「体を張ったプレーが多く、勝ちたいという思いが伝わる」と熱いまなざしで見つめ「負けはしたが笑顔がはじけていた。お疲れさまと言いたい」と健闘をたたえた。
 勝利にはあと一歩、届かなかったが、関西ナインは「このチームでここまで来て誇りに思う。人生の宝だ」。その表情は力を出し尽くした達成感に満ちあふれていた。
 「よくやった」「ありがとう」。満員のアルプススタンドは、一礼するナインに大きな拍手を送った。
 ◇岡山大会の直前に急逝、ユニホームに恩師の言葉−−則武正治君(3年)
 「何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く」−−。スタンドからグラウンドの関西ナインに声援を送る野球部員の則武正治君(3年)のユニホームには岡山大会直前に病気のため急逝した関西の体育教諭、岡田光さんの言葉が書かれていた。
 昨年冬の体育の授業中、ベンチに入れないいら立ちから授業にも投げやりな態度だった則武君に、岡田さんが励ましの意味を込めて送った言葉だ。野球をやめたいと思った時はこの言葉を思い出してつらい練習に耐えた。
 ベンチ入りはかなわなかったが「腐りかけていた自分を立ち直らせてくれた最も大切な言葉。岡田先生も甲子園に連れて来たかった」とユニホームに恩師の言葉を書いた。
 七回に大量失点する苦しい試合展開だったが、則武君は「試合に出られず、僕自身の花を咲かすことはできなかった。でも、チームとして大きな花を咲かせられればいい」と笑顔で声援を送り続けた。【山川淳平】

8月20日朝刊

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